お寺で、盆の入りのお経と講話がありました。
両親からの又聞きですが、
住職は、こんな話をされたそうです。
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男が、生贄の羊を殺そうとした。
しかし、羊が嬉しそうに笑うので、訝しんでこれに問うた。
――おまえは、これから死ぬのだぞ。なぜ、そのように笑うのだ。
すると、羊は答えた。
――わたしは、人であった時分、罪をおかして畜生道へおちました。
けれど、畜生としての生を百度経たのちには、人として生まれることができるのです。
わたしは、既に百度の生を重ねました。
そして、ここで死ねば。ようやっと、人にもどることができましょう。
だからいま、わたしは、とてもうれしいのです。
男は成る程とこれを聞き、重ねて問うた。
――おまえの犯した罪とは、何だったのだ。
――いけにえの羊を、ころしたのですよ。
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怪談話じゃないですよ。講話ですよー。因果応報ですね。
大学時代、嵌りにハマった京極夏彦風にまとめてみました(笑)。
今はどうしてるのかな?最近見ないな。
盆には、地獄の釜の蓋も開くそうです。
だからといって、悪いものがやってくる、というわけではなく、
地獄で罪を償いつつある魂たちも、ほんのひととき
家族のもとへ帰ってくることができる――ということなのかもしれません。
欠けはじめた月の下、少々密度の濃いような夜の中、
犬と歩きながら、ふと、そんなことを思いました。
おかえりなさい。
おじいちゃん、おじさん、皆々さん。